Saturday, December 7, 2013

Why I Was Born 私は何のために生まれたのか

神は言われる。
わたしは裸で生まれた
 
なたが自我を脱ぎ捨てるために。

わたしは貧者に生まれた

あなたがわたしを唯一の富と見なすために

わたしは馬小屋で生まれた

あなたがどんな場所をも聖とするために

神は言われる。
わたしは弱者に生まれた
あなたがわたしを怖がらないように

わたしは愛のために生まれた
あなたがわたしの愛を疑わないように

わたしは夜中に生まれた
わたしがどんな現実でも照らせることを

あなたに知ってもらうために

神は言われる。
わたしは人間として生まれた
あなたが神の子となるために

わたしは被害者に生まれた
あなたが困難を受け入れるために

わたしは質素な者に生まれた

あなたが装飾を捨てるために
神は言われる。わたしはあなたの中に生まれた

あなたをとおしあなたと共に
すべての人を父の家に連れていくために。

I was born naked, Jesus says,

So that you would know how to be stripped of yourself.

I was born poor,

so that you would consider me your only treasure.

I was born in a stable

So that you would learn how to sanctify every environment.


I was born weak, Jesus says

So that you would have no fear of me.

I was born for love

So that you would never doubt my love.

I was born in the night

So that you may believe that I am able to enlighten every reality.


I was born a human, Jesus says,

So that you would never be embarrassed to be yourself.

I was born human

So that you would be able to be divine.

I was born persecuted

So that you would be able to accept difficulties.

I was born in simplicity
so that you would stop being complicated.


I was born in your life, Jesus says,

In order to bring all into my Father’s house!

- written by Lambert Noben

Thursday, November 28, 2013

More Important Than Life いのちより大切なもの


いのちが一番大切だと、思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日
生きるのが嬉しかった。(*) 
 
「いのち」よりも大切なものが、この世に存在するのでしょうか、そんな驚きと関心を、この詩は読者に呼び起こしてくれます。この詩を書いた星野富弘さんは「花の詩人」と呼ばれ、口に筆を加えて、花の絵と詩を書かれます。元々、体育教師で、器械運動の模範演技をしていた際に、運悪く転落し、肩より下は全身麻痺という障害を負われました。それ以来、想像できないような悩みと葛藤を通り、また長い訓練の末、口に筆をくわえて自己を表現するという道を見出してゆかれます。こうした作者の背景を理解すると、この詩がより深い意味を帯びて来ます。体育系の青年であった彼が、この障害を受容するのは並大抵なことではなかっただろうと思います。彼にとっての「いのち」は、やはりかつての「健康の身体、動き回ることの出来る自由」ではないかと思われてならないのです。でも、この詩は語っています。「いのち」よりも大切なものを発見したことで、心の中に価値観の転換が起こり、自分の障害を受容する余裕ができたのだと。

星野さんは闘病中に、クリスチャンの方々の訪問を通して、また自ら聖書を読む中で、信仰に目が開かれてゆきます。彼の著書「愛、深き淵より」を読むと、聖書の「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」の有名な言葉によって、信仰に導かれたことが分かります。自分の痛み、苦しみを自分のことのように共感し、共に担って下さる方、イエス・キリストのところに行って心に平安がえられたのです。逆に、彼には障害があったからこそ、「いのち」よりも大切なものに出会えたとも言えるでしょう。

私達も星野さん程ではないと思いますが、障害と思えるもの-それが自分の弱さ・限界だったり、他人だったり、状況だったりする-を抱えて生きているのではないでしょうか。しかし、星野さんのように、私達もまたこの「いのち」に触れると、この障害を受容してゆく力が与えられ、場合によっては、それが新たな力の源泉になってゆく可能性さえあると思います。

この「いのち」はイエス様の許にあります。2千年前に馬小屋で生まれた方は、この「いのち」を私達に与える為に、この地上に来られたのです。商業化されたクリスマス、世の人々が忙しさと喧噪の中で過ごすクリスマス。そんな中で、今年こそ教会にきて、じっくりとこの「いのち」について考える、触れてみる機会としませんか。皆さんに、少しでもイエス様のことを知って欲しいと思います。

                         *星野富弘、「いのちより大切なもの」(いのちのことば社、2012)より 

Friday, November 15, 2013

Share the Good News 福音を伝えよう

「しかし、聖霊があなたがたに臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1:8

イエス様がオリーブ山から天に戻られる時に、弟子たちに伝えられたことばです。イエス様の地上での最期のことばということは、「遺言」であるとも考えられる、それほどに重みのあることばなのです。

この命令に動かされ、最初の弟子達はエルサレムから小アジア、ヨーロッパ全域へ、更に過去二千年の歴史を通して、代々の忠実なクリスチャン達によって、世界中に福音が宣べ伝えられ、日本にも届けられてきました。

あなたはどのようにして福音を聴いたでしょうか。自分一人で祈っていて、あるいは聖書を読んでいて、自然に信じることができたという人に、私は今まで出会ったことがありません。誰かから、何らかの形で「福音」を伝え聞いたのです。イエス様の直弟子からあなたの所まで、長い時間と数多くの人々を経て、バトンタッチされてきた「福音」=「良き訪れ」は、今度はあなたによって伝えられていく必要があるのです。もしも、地球上の全てのクリスチャンが黙してしまうとしたら、これから数十年後に、この地上にイエス様を信じる人は一人もいなくなってしまうでしょう。

イエス様を三度も知らないと否定したペテロ、その彼を通して、福音は伝えられたのです。復活したイエス様に出会い、愛され、取り扱われたペテロ、そして聖霊を受けたペテロは、力強い主の証人と変えられたのです。同じように、主は弱く、欠けのある私たちをも用いようとされています。確かに、聖霊が臨まれる時、私達は力を受けるのです。聖霊の力を受けて、大胆に福音を宣べ伝えていきたいと思います。

Monday, September 2, 2013

Summer Kodomokai 夏のこども会

今年も、恒例の「夏のお楽しみ会」が行なわれました。子供と大人を合わせて約40名が参加し、賛美、お話、ゲーム、工作と、とても楽しいこども会となりました。

みんなでワイワイと声をかけ、励まし、リードして楽しんだすいか割り。あとでおやつにいただきましたが、とってもおいしかったです(さすが、山形/尾花沢産のすいか!天下一品の味でした♪)。

We had a fun time together, kids, didn't we? The games, songs and story were great. The watermelon smash brought a lot of laughter. Somehow we managed to crack one open. Watermelons from Yamagata/Obanazawa always seem to taste the best.

みんなが大好きな工作も盛り沢山!それぞれに一生懸命作って、できあがった作品はおみやげに。

参加してくださった皆さん、ありがとうございました。神様、楽しいひとときを感謝します。

Everyone did a great job with their crafts. Thanks for coming to our summer kids festa. See you again in church!


Monday, August 12, 2013

You Loved Us First 神の愛はいつでも

(Scroll down for English)

ある日キルケゴールが書いた祈りを偶然に発見しました。その文章は神のまことの本性とその愛を明白に表わしています。

「ああ神様、あなたは私たちをまず愛してくださいました。私たちはそれを歴史的な観点から考え、神様が私たちをまず愛してくださったということを、過去のある時点から始まったものだと思っています。しかし、神様は私たちをまず愛してくださり、一瞬たりとも休むことなく、一生にわたって瞬間ごとに、愛してくださっています。朝起きて、私たちのたましいが神様に向かうとき、あなたはそこに先に来られて、私たちを先に愛しておられます。朝起きてすぐ、私のたましいが祈りの中で神様の前に出て行くとき、あなたは私よりも先立ってそこにおられ、私を愛しておられます。複数な日常から抜け出し、神様の前に出て行くとき、あなたは先にそこにおられ、また永遠におられます。しかし、私たちは恩知らずにも、神様がただ過去のある時点から私たちを愛してこられたに過ぎないと言うのです。」

私も神の愛を歴史的なものだと、過去に一度あったことだと考えていました。しかし、キルケゴールの祈りは、神の愛は持続的で、いつも現在形で、変わることがないということを教えてくれます。日ごと、瞬間ごとに神は私とともにおられ、先ず私を愛しておられます。

One day I stumbled upon a prayer of Soren Kierkegaard. The words capture the essence of what God's love is really about:

"Father in Heaven! You have loved us first, help us never to forget that You are love so that this sure conviction might triumph in our hearts over the seduction of the world, over the inquietude of the soul, over the anxiety for the future, over the fright of the past, over the distress of the moment. But grant also that this conviction might discipline our soul so that our heart might remain faithful and sincere in the love which we bear to all those whom You have commanded us to love as we love ourselves.

You have loved us first, O God, alas! We speak of it in terms of history as if You have only loved us first but a single time, rather than that without ceasing You have loved us first many things and every day and our whole life through. When we wake up in the morning and turn our soul toward You - You are the first - You have loved us first; if I rise at dawn and at the same second turn my soul toward You in prayer, You are there ahead of me, You have loved me first. When I withdraw from the distractions of the day and turn my soul toward You, You are the first and thus forever. And yet we always speak ungratefully as if You have loved us first only once."

I've often thought of God's love as a past thing that occurred but once. But as Kierkegaard's prayer reminds us, God's love continues on in the present. Every day, every moment, God is right there with us, loving us first.

Monday, July 8, 2013

Meaninglessness 空の空。すべては空。

「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」
伝道者の書1:2〜3

私が初めてこの聖書の箇所を目にしたのは24歳の時である。聖書は道徳書の類(たぐい)で、元々人格の優れた人が自分の生き方に磨きをかける為の手引き書位にしか、捉えていなかった。そんな私にとって、この伝道者の一節は感銘というより、驚きを与えた。大学受験に失敗するという人生最初の挫折を機に、私の心は虚無感で支配されるようになっていた。人生、どうせ自分の思うようにはならない。それならば何か具体的な目標を掲げたり、あるいは夢を描いてそれに向かって努力するのを止めれば、人生もっと楽に生きられるようになる、と常々感じていた。ただ流されるままに生きることがベストな生き方なのだと考えていた。そんな精神風土の中にいた私にとって、聖書の中に同じ人生観を持つ人がいると知って、驚きというか親近感さえ、覚えるようになった。

「伝道者の書」を読み進めてゆくと、著者であるソロモン王の一生が浮かび上がって来る。当時の私のように、受験に失敗した位で虚無感に陥るというのは、若さ故の甘えとも考えられる。しかし、このソロモン王は、父ダビデが確立したイスラエル王国をその栄華の頂点にまで引き上げたリーダーである。彼は王としての任務を遂行していったばかりでなく、神殿と王宮を建設し、諸外国の財宝を集め、その栄華は諸外国にも鳴り響いた。知恵をきわめ尽くし、詩作に優れた才能を発揮した。また、男性が願うであろう全ての快楽を欲しいままにした。名誉、地位、業績、知識、富、そして快楽と、その全てを手に入れた彼が、「全ては空」と語った。私は彼の背景を知れば知るほど、彼の発している言葉の重さを感じるようになった。  

しかし、「伝道者の書」には見事などんでん返しがある。この書の最後の方に、こう書かれてある。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1)と。この一節が私の心を貫いた。そして、ここまで読み進めてきて、ようやく著者の言いたいことが分かったような気がした。どんなに成功の道を歩んだとしても、あるいは逆に挫折と見える人生を歩んだとしても、結局、神を無視した人生は虚しいのだと。私がそれまでの人生で、虚しさを感じ続けてきたのは、創造主である神、私を愛し、この世に送り出して下さっている方を知らないで来たからだ、ということに気付かされた。今、振り返ってみると、その時から、私の人生に光が差し始めた。徐々にではあるが、着実に私の人生は変わり始めた。「私を造り、この世に送り出して下さった方がおられる。神様は各々の人間を意図と目的をもってデザインされている。それならば私の人生にも何か果たすべき使命があるはずだ。これからは神様が造って下さった自分自身を発見し、私にしか歩めない人生を歩んでゆこう。」と思うようになった。

あれ以来、ほぼ40年の歳月が流れた。その後の人生が苦労なしに変わったというのではない。職業は変わり、地球上で住む国が変わり、色んな体験を通された、喜びの時、苦しみの時、順風の日、逆境の日、、、私の創造主である神は絶えず私を支え、今日まで導いて下さった。これからの人生についても神様のご計画の全容は見えない。しかし、神様に信頼して、一歩一歩、歩んでゆこうと思っている。

「結局のところ、もう全てが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ、これが人間にとって全てである。」(伝道者の書12:13)

田園グレースチャペル牧師  近藤 泉

Thursday, June 13, 2013

Hooper Gospel Workshop フーパーゴスペル講習会

グレゴリー & ルース フーパー夫妻

毎回ご好評いただいているゴスペル特別講習会(春学期、秋学期に1回ずつ)♪今回の講師は、グレゴリー&ルース・フーパー師ご夫妻でした。いつもレイ・シドニー師に講習を受けてきて、だいたい様子がわかっていましたが、今回はお互いまったく初めてなので、ちょっとドキドキしながらお迎えしました…。

雨降りにもかかわらず、たくさんの方々が集まってくださり、和気あいあいと講習が始まりました。そして、フーパー師ご夫妻の「夫婦」としてのすばらしいチームワーク、証と賛美に感動し、あっという間に緊張もとけ、本当にすばらしい講習の時となりました!合同コンサートで、またご一緒にステージに立って歌うことが本当に楽しみです。

いつもこの講習会で教えてくださるレイ・シドニー師は、今回スケジュールの都合でおいでいただくことができませんでしたが、神様はすばらしいプレゼントを与えてくださり、6/2の礼拝とグレース・カフェで、レイ師の特別賛美と証を聴くことができました。その様子は(こちら)でお読みください。レイ師が来てくださり、その後フーパー師ご夫妻が来てくださって、本当に恵みの雨が降り注いだようでした。神様に感謝します。

6/15の合同コンサート、また6/23の田園グレースチャペルでのミニコンサートにも、どうぞおいでください。お待ちしています。

Thanks to Gregory and Ruth Hooper for a great gospel workshop on June 11! Your energy, testimonies, and special numbers really made for a great time together!

Wednesday, June 5, 2013

The Ray Who "Goes" 行って仕えるレイさん

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「私は、ゴスペルを歌う為に日本に来たのではありません。」レイさんは、こう言われました。そして私たちは、その言葉が真実であることを、2日の日曜日の礼拝で実感しました。レイさんを私たちの教会の礼拝にゲストとしてお迎えできたことは、本当にすばらしいことでした。しかしレイさんは体調が優れず、風邪の為に、ほとんど声が出なかったのです。

レイさんは、証の中で、「もし私がゴスペルを歌う為だけに、日本に来たのだったら、こんな風に体調を崩して声が出ない時、どうすればいいでしょうか?しかし私は、私に『行って、わたしに仕えなさい』と言われた神様に従う為に来たのです。」と言われました。

そして体調が悪く、声も出ない中にあっても、11時からの礼拝で特別賛美、その後、短時間のゴスペル講習をして、午後3時からのGrace CAFEでも賛美と証の奉仕をしてくださいました。それは神様だけにご栄光を帰するために歌われた、すばらしい彼の信仰による真の賛美でした。

体調の悪い中、こうして私たちの教会に来て、信仰の証と賛美によって神様の祝福を分かち合ってくださったレイさん、本当にありがとうございました。体調が守られ、これからの御奉仕が祝されて用いられますよう、お祈りしています。

"I didn't come to Japan to sing gospel." Ray Sidney says. We found out that was true this past Sunday. It was a joy to welcome Ray as a special guest singer. But we were sorry that he was suffering from a bad head cold and had nearly lost his voice.

Ray added, "If I came only to sing, then what should I do at times like this? I came to obey God who told me 'go and serve.'"

In spite of his cold, Ray sang a number of songs for both our 11am Morning Service and 3pm English CAFE. He also gave us a taste of a gospel workshop with a 20-minute mini workshop after the service.

Thanks, Ray, in spite of your physical limitations for coming to minister to us!

Sunday, May 19, 2013

Save Your Fork フォークを手元に残して

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ある高齢の女性が、病気で余命わずかだという診断を受けました。彼女はそれを受け止め、自分のお葬式の段取りを始めました。牧師と、式のプログラムについて相談していた時、彼女はちょっと変わったリクエストをしたそうです。彼女は言いました。「お官の中に、私の遺体を納める時、私の右手にフォークを持たせるようにしてください。」

それを聞いた牧師は、どういう意味なのかわかりませんでした。すると彼女は、説明を続けました。「私が子どもの頃、お客さんが来てみんなでごちそうを食べた時、最後に必ず誰かがこう言いました。『もっと良いものが、これからやって来る!だからフォークはかたづけないで、手元においておきなさい。』その時の意味は、『食事は終わったけど、これからまだデザートが来るよ。』ということでした。そしてその通り、チョコレートケーキやバニラ・プディング、またアップルパイなど、おいしいデザートが出てきました。病気のことがわかって、私の人生ももう終わりだなと思った時、このことを思い出したんです。『私にとって最高のものは、まだこれからくる。』ということです。私は今、死を待っています。でもこの地上のすべてが終わった時、もっとすばらしいもの、最高のものが私の為に準備されています。だから、右手にフォークを持つことによって、残る家族や友達に、私はこの地上の命を終え、神様が準備してくださっている最高のものを受け取る用意ができている、ということを知らせたいのです。そしてお葬式のメッセージの中で、牧師であるあなたから、集まったみんなに『フォークを手元に残しておきなさい。最高に良いものが、これから来るのだから。』と話してほしいのです。」

この女性は、天国について本当によく理解していました。私達も、もっと理解を深めていくべきです。結婚式の披露宴や、何かのパーティーで、ごちそうを前にフォークを取る時、天国で、小羊の婚礼のパーティーに出る時のことを想像する機会としてみてください。もし神様が、私達にこの世で生きるだけの命、またこの世を生きる為の赦しと力だけを与えておられるなら、この世のことだけ考えていれば十分です。でも神様はあなたに、天国の約束を与えてくださっています。だから、天国についてもっと考えていきましょう。そして天国についてもっと語っていきましょう。天国を約束してくださる神様に感謝して生きましょう。

第2コリント4:18「私達は、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」

An elderly lady was diagnosed with a terminal illness. She began making arrangements for her own funeral. While planning with her pastor, she made an unusual request. She said, “After they place my body in the casket, I want them to put a fork in my right hand.” The pastor was puzzled. She explained, “Since I was a child, whenever we ate a big fancy meal with guests, someone would always say at the end: ‘The best is yet to come. Save your forks.’ I knew that meant that a delicious dessert would be brought out. There would be layered chocolate cake, or vanilla puddings, or juicy apple pies. After I thought everything was done, the best was ready for me. Now I am a dying old lady. But when people see me at my funeral with that fork in my hand, I want them to know that I was ready for the best that God has waiting for me. And I want you to tell them, ‘Save your fork. The best is yet to come.’”

The woman understood heaven. We should, too. What if every time you pick up a fork at a wedding reception you were to stop and think of heaven, and the wedding banquet to come there. Try it. If God only gave us life, forgiveness and strength to live in this world, that would be enough. But God has promised heaven to you, too. Let’s think about it. Let’s talk about it. Let’s thank him for it.

“So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen. For what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.” 2 Corinthians 4:18

Tuesday, April 16, 2013

I Love Living! 人生を心から楽しんでいる

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ニック・ブィッチ(写真)はこう言います。「僕は、僕の人生を心から楽しんでいる!」しかし、心から自分の人生を愛している彼は、腕と足のない状態で生まれてきたのです。彼は、その障害に悩み苦しんだのですが、ついに自分の人生の目的を発見し、生きる喜びを得ました。それは、彼の救い主、イエス・キリストによって与えられたのです。田園グレースチャペルでは、先週の礼拝で、彼の信仰の証についてのビデオを見ました。こちらをクリックすると、彼の証を聴くことができます。その信仰と生きる喜びに満ちた証は、あなたの信仰をも励まし、神様への愛を深めてくれることでしょう。

Nick Vujicic says, "I love living life!" Yet, he was born with arms or limbs! He found purpose and joy in living, and that purpose and joy was in his Savior, Jesus Christ. This past Sunday at Denen Grace Chapel, we shared a bit of his video testimony during the morning service. Here it is again for you to listen to and be encouraged in your faith and love for God. [Life Without Limbs]

Wednesday, February 27, 2013

Easter is Coming 歌の季節がやって来た

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「ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎていった。 地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。」雅歌2:11-12        
今年の冬は雪も降り、例年になく厳しかったですが、2月も後半に入って、寒さもゆるみ、春の気配が感じられる今日この頃となりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私達の教会では、3月31日(日)にイースターの集会を開きます。イースターは日本語では“復活祭”でイエス様の復活を喜び祝う日です。今年は竹下先生ご夫妻をゲストとしてお招きしております。午前11時からの礼拝では、竹下力先生がメッセージをしてくださいます。竹下先生は旅行会社で働きながら、伝道者として活動。誰にでも分かりやすく、キリストの愛を伝えて下さいます。また、午後2時半からは竹下静さんがコンサートを開いて下さいます。静さんはシンガー・ソングライターで、賛美歌からオリジナルのポップス・ソングまで、幅広いジャンルの歌を歌って下さいます。また、被災地でのコンサート活動もされており、今回のコンサートも東北支援の目的で開かれます。このように、素晴らしいプログラムが用意されておりますので、皆さんと共にイースターの日を過ごせたら幸いです。是非、お出かけ下さい。教会員一同、皆さんが来られるのをお待ち致しております。

"See! The winter is past; the rains are over and gone. Flowers appear on the earth; the season of singing has come, the cooing of doves is heard in our land." Song of Songs 2:11-12

Come join us this Easter to celebrate the resurrection of our Lord and Savior, Jesus Christ. In our 11am morning service, we will have a special message from guest pastor, Chikara Takeshita. In the afternoon, from 2pm, his wife, Shizu Takeshita, will be performing an Easter concert in support of their ongoing relief work in Tohoku. Anyone is welcome to come, without expense, and regardless of whether or not you are a Christian. Please join us!

Thursday, January 17, 2013

Prayer for Peace 平和の祈り



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主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いくだい
憎しみのあるところには、愛を
不当な扱いのあるところには、一致を
疑惑のあるところには、信仰を
誤っているところには、真理を
絶望のあるところには、希望を
暗闇には、光を
悲しみのあるところには、喜びを
もっていくことができますように

慰められることを求めるよりは、慰めることを
理解されることよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを
求める心をお与えください

私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし
許すことによって、許され
死ぬことによって、永遠の命をいただくのですから

-- アッシジの聖フランチェスコ

Lord, make me an instrument of your peace.
Where there is hatred, let me sow love.
Where there is injury, pardon.
Where there is doubt, faith.
Where there is despair, hope.
Where there is darkness, light.
Where there is sadness, joy.
O Divine Master,
grant that I may not so much seek to be consoled, as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love.
For it is in giving that we receive.
It is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to Eternal Life.
Amen.

-- St. Francis of Assisi